夢日記を謳歌する
中野を謳歌 第02回 夢日記を謳歌する。
このブログはフィクションであり、筆者の妄想と夢で出来ている。真に受けたことによる一切の責任は負いかねるので悪しからず。
夢日記というものがある。
読んで字のごとく夢の内容を日記のように記す行為や、またその記録のことだ。同名のフリーゲームがあったが、一昔前にある動画を見て軽いトラウマになり、それからの数日の夜はダッシュでトイレに行くことを強いられたのでプレイしていない。名作なのでいつかはトラウマを乗り越えてプレイしてみたいものだ。
先日、パプリカという小説を読んだ。
同名のアニメ映画がこれまた名作だという情報を相当前から聞いていたものの、なかなか観る機会がなかった。やっとこの前見たところ、これがどストライクだった。
モノの輪郭は蜃気楼のように揺らめき、場面は目まぐるしく変わり、サービスシーン直前で終幕。超体験をミキサーに詰め込んでかき混ぜたような、混沌としていて掴みどころのない夢の中の情景を、アニメーションだからこそ出来る表現で見事に夢を追体験できる素晴らしい映画だった。
映画を見て、原作小説に強い興味を抱いた。
数日かけて小説を読み終わった私は夢というものが気になってしまった。
目覚めたときに、「あともうちょっとで修行僧でも鼻血を吹き出すような卑猥なことができたのに!」と地団駄を踏むくらい、気になるあのコのキャッキャウフフな残像が色濃く残っていたのにもかかわらず、トイレに行って帰ってくると、まるで排泄物と一緒に下水に流してしまったかのようにスッカリ忘れてしまうようなもの、それが夢である。
夢とは究極の自作ファンタジーだ。無料で妄想をみじん切りにしてごちゃまぜにしたドラマが体験出来るのだからこれを利用しない手はない。夢を記録することができれば、ひのきのぼう程度しか持ち合わせていない私の表現力もなべのフタとのセットくらいになってくれるかもしれない。
しかし、ゆめにっき計画は出鼻をくじかれたのだ。
ゆめにっき計画前日(ある意味では当日だが)、寝る直前にはしっかりとトイレに行き、枕元にはノートとペン。ここは21世紀なので頭に針を刺して夢を記録するヘッドギアはない。しかしアナログで夢を記録するには最高の準備である。
準備を終えて私は眠り、翌日の朝、私は飛び起きた。夢を見たのだ。
ただ、見た夢が問題だった。
吹きすさぶのはエロの嵐。思春期少年の鼻血で溺れそうであった。その鼻血にはもちろん私のもあった。
記録できなかったのは言うまでもないだろう。私の表現力の天元突破した経験は私の頭の中でのみ、劣化した残像が数シーン残って去っていった。
もし覚えていて、表現できていたとしても、誰が好き好んで、合意の上でAVでも発売できないようなディープでハードなプレイを突然やってきた母親に目撃され、性犯罪者扱いされた後、烈火のごとく叱られる夢を記録したいと思うだろうか。
そうやってここに書いている時点でもうある意味手遅れな気はしないでもないが、こうしてゆめにっき計画は一度頓挫した。
それからいくらかの時間が流れて、再びゆめにっき計画が始動した。
私は毎朝、起きがけにスマホを手に取り、さながら中毒者のようにポチポチ操作する。記すのはもちろん夢。直前まで見ていた夢の断片を拾い集めて文字という媒体に保存しておく。そして溜まった夢の断片を定期的にふるいにかけ、面白そうなものは再編集して一つの短編とする。これが新ゆめにっき計画の全貌である。
なお、このふるいにかけられ、再編集されたゆめにっきは一ヶ月に一回、当ブログで月刊ゆめにっきというコーナーで発表していく。今のところ計画はないが、pixiv等の別媒体でも発表できればと思っている。
夢という物理法則も無視したドタバタファンタジーをなんとか形にすることで私の表現力の糧としたい。
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