筆箱はロマンである。(ロールペンケース編)

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文房具はロマンである。【第三回】筆箱はロマンである。

この企画は、デジタル化が進む現代においての文房具のあり方について考え、社会的な視点で文房具好きが語る……というものではなく、私が使って「これは誰かにオススメしたいぞ!」と思った文房具を独自の視点という名の愛と偏見で皆様を文房具店へと誘うという企画です。

ものすごく久しぶりに筆箱を購入しました。というのも、文房具を使わなくなり始めてきていたのです。まぁこのブログ自体パソコンやスマホでちょこちょこ書いているのですが、最近、絵の勉強を始めたので鉛筆が数本机の上でコロコロしていたり、通販で買ったダンボールを開けるためのカッターだったりと、雑貨が散らかっていて机が汚いのです。

 

机の上を綺麗にする上でこの散らかった雑貨をまとめておくのは必要条件だということにたどり着き、机は汚いまま文房具店へと向かうことにしました。

 

最近は立てられる筆箱が勢いを増していて、かくいう私もネオクリッツとシリコン製のスタンドペンケースも持っていました。

ネオクリッツの方はスリムタイプとスタンダードタイプの両方を持っていましたが、デザインがちょっと好みではなくなってきたことと、その頃には使い古してボロボロになっていたので今はもうありません。ですが当時、立てられるペンケースというのは筆箱界の革命児的存在だったように思います。初めて筆箱が立った時はクララが立ったときくらいの感動を覚えたものです。嘘です。本当は1円玉が立ったときくらいの感動でした。 

 

 

シリコンのスタンドペンケースの方は製図用シャープペンばかり使っていたせいで、底の折り畳まれる部分が槍のように刺さって裂けてしまいました。あの触ったときの質感は大好きでした。二の腕を触っているようでした。ちなみにおっぱいと二の腕の質感は一緒らしいので、このペンケースは実質おっぱいです。嘘です。

 

 

閑話休題

 

私はいくつかの文房具店をさまよった結果、2つのペンケースを買ってきました。

 

今回紹介するのは、買ってきたうちの一つ、デルフォニックスのロールペンケースです。

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巻物のようにクルクル巻いてトイレットペーパーの芯を一回り大きくしたようなくらいの縦長の筆箱です。帆布というその名の通り、船の帆に使われるほどの丈夫さを備えた布をつかっているので、槍のように尖った製図用のシャープペンでも安心。

 

色の種類は、赤,オレンジ,黄色,オリーブ,スカイブルー,ダークブルー,ベージュ,黒の8種類。デニム生地のモノを合わせたら9種類というたくさんの種類があります。今回買ったのは黄色です。

 

容量は、ボールペン程度の太さのペン5本分に加え、消しゴム程度の太さのものが入るスペースが2つとなっています。私はこの広めのスペースにはカッター(オランテ)や定規、シャープ芯や消しゴムを入れてちょうどいいくらいでした。ちなみに、細い方のスペースは、一般的な万年筆であれば一本、鉛筆なら二本入ります。

 

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私がこの筆箱を選んだ理由はほぼ一つ。カッコイイから。

 

巻物を開くと文房具がズラリ。なんだか秘密の7つ道具みたいでロマンが溢れてきます。実際にポケットは7つですし。

 

十徳ナイフしかり、開くと変形する化粧道具箱(トイ・ストーリー2で出てくるヤツ)しかり、人間は変形と収納が大好きです。意味なく十徳ナイフを持っている軍隊かぶれのクラスメイトはいませんでしたか? 私の周りにはいました。彼は今一体何をしているのでしょうか。

 

ともかく、このコーナーのタイトルは「文房具とは、ロマンである。」なのです。ロマン重視で選ばずして一体何を選ぶのか。

 

そう書くと機能性が少ないようにも思われてしまうかもしれないので訂正を。

一般的な筆箱でありがちな、ごちゃごちゃしていてペンを取り出すとき筆箱を掘り起こさないといけないというイライラ、このロールペンケースなら、ひと目でどこにどの文房具があるのか分かるので、ペンを取るのに手間取らないのです。さらに先程も書きました通り、帆布という丈夫な布を使っているので、製図用シャープペンや尖ったものをペンケースに入れて持ち運んだ際の揺れでペンが暴れて筆箱に穴があくこともありません。

 

どうです? 素晴らしいとは思いませんか?

ロマンと実用性を兼ね備えた筆箱、デルフォニックスのロールペンケースの話でした。

次回は、一緒に買ったもう一つのペンケースの話をしたいと思います。

shop.delfonics.com

 

 

 

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知らない街を謳歌する

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中野を謳歌 第06回 知らない街を謳歌する。

このブログはフィクションであり、筆者の妄想と夢で出来ている。真に受けたことによる一切の責任は負いかねるので悪しからず。

 

先日、久しぶりに映画鑑賞を謳歌しようではないか!と電車に乗っていた。

元々の最寄りの映画館は何やら改装中らしく、それにより、映画を見るには電車で少し移動しないといけなくなってしまったのだ。

 

今回向かうのは初めて降りる駅。少しのワクワクとちょっぴりのドキドキ。小さい頃から冒険だ! と言ってよく家を飛び出す少年時代だった。

冒険家にしてはちと体力と運動能力が足りていなかったし、一度遠くまで行き過ぎて号泣しながら自転車でフルスピート疾走し、ヘトヘトになって減速したところで交番のお兄さんに救助されるという失態を犯してからは冒険はやめた。

 

目的の駅に到着したのはちょうど昼過ぎだった。駅ビルを軽く散策し終わって時間を確認すると、そろそろ映画館の方へ出発してみようかなという頃合いになっていた。

スマートフォンの地図アプリを開き、少し歩いては脇によって立ち止まり地図を確認、というのを5回ほど繰り返す。ところで、最近googlemapの現在地が上手く機能しません。

 

この前渋谷に行った時、道に迷ってハチ公付近で地図を見たところ、現在地を示す青い丸がみるみるうちに移動していき、迷っているはずなのに「俺がいるのはここではないだろう」わかるくらい座標がずれてしまいました。人の多さが原因かもとは思いましたが、だとしてもなんでとんでもない勢いで移動したのでしょうか。ハチ公前にいるのに紀伊国屋書店くらいまで飛んでいきましたよあの青丸。

 

駅ビル周りの喧騒も少し遠くなり、昼過ぎの日差しが心地良い。5月上旬当時、昼前の暖かさが一番過ごしやすいのだ。夏になると暑さは早朝と深夜にまで勢力を広げ、人類の精力を奪っていくのでこれからのことを考えると少しげんなりした。

 

未来の熱帯夜よりも今の温暖湿潤な昼を楽しもうじゃないかと気を取り直して、私は歩を進めた。初めての街なので道路を囲むビルもすべて目新しい。クリーニング屋さんの哀愁のある建物いいなぁ、なんて思いながら歩くのは楽しい。すると、4階建てくらいのビルが目に入った。時にひときわ大きいわけでもなく、一般的なビルだ。ただ、看板が目を引いた。ちょうど二階くらいの高さで2,3メートルくらいの大きさの横長の看板だった。看板の両サイドにはタイトで短い黒いスカートを履いた女医とピンクの看護服を着て前かがみになっている看護師。あと全体的に背景がピンク。遠目から見て、もしかして……と思いながら近づくと、案の定と言うべきか、看板の中央には控えめなサイズの明朝体でこう書いてあった。

 

大人のお医者さんごっこ

 

私はしっかりと目に焼き付けた。これでお医者さんプレイをしたいときの行き先には困らない。もっと他に困ることがありそうなものだが。

エッチな店があることくらいはどうでもいいのだ。エッチな店とか、エッチなバイト募集のトラックでいちいち騒ぐのは高校生までだ。私はお医者さんプレイ熟練者ですが何か?という顔でそのビルから一分も経たないくらい歩くと、ビルの前で経っている若い男性が見えた。飲食店の客引きかなと思いながら少し距離をとりつつ横切ろうとした時だった。「休憩していきませんか?」と声をかけられた。怪訝に思いつつその男の方を見ると、私は驚いた。店の看板にエッチな女の子と明らかに漫画喫茶等では考えられない単位の料金設定。あえて断言しよう、昼間から開店しているエッチな店である。

 

そこで私の鋭い勘が冴え渡る。

 

駅前から少し歩いたとはいえ、人通りが少なすぎる。映画館がこの先にあるんだぞ、もうちょっと人通りが多くても良いのではないか。ここからも完全なる私の妄想だが、ここはエッチな店が軒を連ねる通称ピンク通りと呼ばれてて、近隣の小中学校ではこの通りを通らないように指導されていて、主婦たちもよっぽどの用が無い限り通らない道なのではないだろうか。あくまで妄想であるが、そう思うと、なんだか昼間なのに恐ろしくなってきた。

 

私は客引きというものが大の苦手である。

 

思い出話をしよう。高校一年生の時分に、社会見学で東京へ行くという行事があった。当日、私達のグループは原宿の竹下通りへ到着した。私も来たことがなかったので面白半分で周りを眺めていた。隙間のない人混みだけが気がかりだった。

 

なんとか置いて行かれぬように通りを進んでいると、イケイケ数人組がなにやら店員と話している。外国の人のようで、片言っぽい日本語でウェーイだのフゥーだのノリノリである。イケイケの一人がかぶっていた帽子が気になっていたようで、カッコイイネーオニイチャーンとか言ってた。話し込んでもしょうがないのでバイバーイとイケイケの彼らが別れを告げると外国のあんちゃんはマッテヨーとか言っていた。なんだこりゃと私があとを着いていくと、さっきまでの上機嫌はどこへやら、感情を失った顔で私を見たと思ったら一瞬で目をそらした。興味ナシだったようだ。すまなかったな、ダサい格好で。

ちょっぴり傷つつきつつ数歩歩くと、前ではまたイケイケ数人組が外国の人に声をかけられている。

 

カッコイイネー→バイバーイ→無表情→すまなかったな、ダサくて。→ちょっと歩く→カッコイイネー→バイバーイ→無表情→ハイハイ、ダサいですよ俺は。→ちょっと歩く→カッコイイネー→バイバーイ→何ならちょっと睨まれる→えっ。→ちょっと歩く→カッコイイネー→バイバーイ→無視→俺には帽子は似合わないってか→ちょっと歩く→カッ……

 

いやどんだけ客引きいるんだよ!

 

私は激怒した。あんなに毎日のようにメディアが取り上げている地域がこんなハイペースな客引き通りなんて聞いてないぞ! 流石にイケイケ数人組も疲れたようで、近くの甘味処で休憩しようということになった。私は人混みにあてられて胃が小さくなっていたので外で彼らが買い物をするのを待っていた。当然声はかけられなかった。俺一人なら最速で竹下通りを抜けられるのでは、とすら思った。

ラソンのコースに竹下通りが含まれていないことを悔やんでいると、イケイケのうち二人の帰りが遅い。どうやらトイレに行ったらしいが、この通りでトイレを借りれる場所があるのか……と思っていると、衝撃の事実が。

 

客引きのお店でトイレ借りてる。

 

残りのメンバーでそのお店の方へ向かうと、イケイケ二人組はカタコト客引き兄ちゃんと話していた。断りきれないでいると、カノジョタチモコイヨーとグループの中の女子を手招きする。行ったらなんかマズいのは分かっているものの、女子たちは数歩前へ出る。うるさい通りを一本逸れただけでこんなにも静かなのかというほど喧騒は他人事。

私は焦った。このままでは客引きに班員全員連れていかれ、なにがしかの高額請求をされてしまうのでは……? もちろんただの思い過ごしであったことを祈りたい。

そこで私の機転が火を吹いた。息を吸い、久しぶりに声を出した。

 

「そ、そそそ、そろそろ出発しないと、帰りのじっ、時間に間に合わない、のでわ~ぁ?」

 

全員がこっちを見た。わざとらしく班員を手招きし、腕のちゃちな時計を見せる。彼らと一緒に客引きあんちゃんがダイジョブダイジョブとか言ってイケイケ男子の肩を掴んだ。

「いや、ワタシタチ、メチャトオクカラキタ。モウ、イカナキャ!」

なぜ片言なのかは今でも分からないが、そう言って私はイケイケ男子を引っ張った。あんちゃんはまだ何か言っていたが、バイバーイと手を振って早歩きで振り抜いた。

路地から抜けて、通りの騒がしさで耳が痛くなりそうになったとき、かすかに「ありがとう中野くん、格好いいね」と聞こえた気がした。後半は明らかに脳内補正であったが、前半は確かに聞こえた。

 

この話を通して何をいいたいかと言うと、

 

長くなりすぎて映画の話が一文字も出来てないじゃないか!

 

ということで映画鑑賞を謳歌する。続きます。

 

追記:竹下通りに行く際は是非地味な格好で行く事を強くおすすめする。個性を出そうとか、張り切ったファッションをしたりしてはいけない。東京は悪意の街である!

 

 

 

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おっちょこちょいを謳歌する

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中野を謳歌 第05回 おっちょこちょいを謳歌する。

このブログはフィクションであり、筆者の妄想と夢で出来ている。真に受けたことによる一切の責任は負いかねるので悪しからず。

 

少し前のことである。正確に言うと、ちょうど桜が咲いた頃のことである。

 

私、中野は原付免許を取得するため、運転免許センターへ行った。中途半端な田舎に住んでいるため、少しばかり早起きをしなければならなかった。まだ日は浅く、気温も少し低い。昼間は暖かいという予報だっただが、私が家を出たときはまだ少し寒く、仕方なく上着を羽織っていた。

 

最寄り駅へ着くと、思ったよりも人が多いことが気になる。特に目立つのはスーツ姿のサラリーマン。都会の出勤時間へ合わせたらこのくらいに出発しないと間に合わないのだろうか。心の中でご苦労さまと呟いた。ただの自己満足である。

サラリーマンたちの着席を待っていたら私の席はなかったので、つり革片手に本を読む。……首筋に当たる空調が寒い。すごく寒い。いや寒くね? 寒さで首が傷んでくる。本をリュックにしまい、空いた片手で首をさする。キンキンだった。もしくはカンカン。ダンカンではないことだけは確かである。

 

そんなくだらないことを考えていると、目的の駅へ到着した。免許センターは少し歩くらしいというのは予め調べておいて分かっていた。

 

少し歩くと、分かれ道が迫ってきた。人の流れから行くべき方向はこっちだろうというのは分かったが、逆方向にはコンビニがあった。朝早くから何も食べずに来た私の腹は予想通り空っぽだったので、一瞬立ち止まって後ろの人から睨まれつつも、私は人の流れに逆らって営業時間を表していたはずの店名なのにいつの間にか休みという概念を失ったチェーン店に向かった。分かりにくくてすまない。セブンイレブンのことである。

 

セブンイレブンでいい気分の中、赤飯とおこわのおにぎりとお茶を購入。最近もち米のおにぎりにハマっているのだ。その前はツナマヨ。もう一個前は梅干し。もっちもちのおにぎりを片手にさぁ免許センターへと足を進めて約30歩。目の前に現れた錆びついた看板を見て、私は立ち止まる。薄汚れた看板にはこう書いてあった。

 

運転免許センターはコッチが近道!

 

私は疑った。この看板を信じてもよいのだろうか。観光地や公共施設等の近辺には胡散臭いものがたくさんあると私は知っている。観光地公式の駐車場を装う非公式の駐車場(高い)にお土産屋のバッタもん(安い)。だが、コンビニで遅れてしまった分を取り返したいのもまた事実。私は人間を信じるぞ! と何度人に騙されても信じることをやめない少年漫画の主人公のような心持ちで私は進んだ。

 

数分して、免許センターが見えてくる。綺麗になったという情報通り、最近よくある公共施設の建築物らしい雰囲気である。特にけなしているわけでも褒めているわけでもない。中に入ると、思った二倍は広い。初めてかまくらに入ったらこんな衝撃を受けるだろう。あくまで推測だが。

 

申し込み票を用意する必要がある、ということを直立不動の職員殿から聞いた。

職員をはしごしつつ、なんとか書類を記入し、さぁ受付だと原付きの列へ並ぼうという時だった。

 

あっ。

 

喧騒のなかでは誰の耳にも入らなかったが、この一音は私の体に響いた。私の素っ頓狂な声の発声原因は必要書類が大きく表示されたスクリーンにある。

申込書、写真、住民票、身分証明書。

申込書、写真、住民票、……身分証明書?

急いで壁際に小走りし、リュックを全開にして確認すると……ない。いつだ? いつ無くした?

 

その原因は前日に遡る。

 

免許の試験を受けるには、住民票が必要ということで、私は出かけていた。住民票をもらうには、身分証明書が必要ということで、リュックにはじゃがいもみたいな顔の写真が貼り付けられた証明書が入っていた。特に問題もなく住民票を手に入れて帰宅した私は、明日忘れ物をしないように、リュックの中を整理していた。一度リュックからすべての荷物を取り出し、一つ一つ確認しながら荷物を入れていく。実技の時に必要な手袋。待ち時間のお供である本。財布。住民票と写真。筆記試験の参考書。筆記用具。よし、これでいいだろう。私はリュックのチャックを締めてぇ……ストップ!

 

見つけた。机の上にポツンと置かれた身分証明書。住民票だけでいいと勘違いして置いていってしまったのだ。冷や汗が止まらない。心なしか息も荒い。お腹が痛くなってきた。どうせ試験は受けられないのだからトイレへ行こう。

 

男子トイレへ向かうのにも足がもつれかかったが、なんとか無事にトイレへ。個室の空きは一つだ。ラッキー、と思いながら個室に入って違和感。便器がない。掃除用具入れに入ってしまったかと思って視線を下ろすと、便器はあった。

ただ、和式だった。改装して綺麗になったと聞いていて、まさかトイレが和式便所のままとは夢にも思わなかったのだ。

 

泣きそう。和式便所を見て泣きそうになった男をこれまで見たことがあるだろうか。見たことがあるとしたら、それは私だ。

 

和式便所の最適解を未だ知らない私は、ただ尿がズボンに飛ばないように、便が変なとこに着陸しないように用を足し、近道では無い方の道で帰っていった。晴れると聞いていたのに、小雨が降っていた。

 

あと、行きとそんなに時間も変わらなかった。もう二度と看板は信じまい。

 

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文体の変化を謳歌する

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中野を謳歌 第04回 文体の変化を謳歌する。

このブログはフィクションであり、筆者の妄想と夢で出来ている。真に受けたことによる一切の責任は負いかねるので悪しからず。

 

どうも、中野黄加です。

5月も中旬になりましたが、皆さんはいかがお過ごしですか?

私、中野は文章を書くためにたくさんの本を読むことを心がけています。しかし、読書の時間を確保するのは思っていた以上に難しいものです。気づいたら動画やゲームをしてしまったりしてしまって、それをやめたと思えばtwitterをみてしまう……なんてことの連続です。

今回は、タイトル通り文章の文体について考えていきたいと思っています。

 

文体。それは文章の印象を決める大事な要素。今までのこのブログでは、どことなく固いような印象を持つような文章を投稿してきた。文体とは言っても、私の表現力では語尾を丁寧にですます調にするか、バシッと言い切るような、だである調にするかくらいの2通りしかできない。冒頭の数行では、ですます調を使用してみた。

実はこのブログも開設する前はですます調の文体で書こうと考えていたのだ。

結局大した理由もなく今の文体に落ち着いたわけなのだが、今は隣の芝生は青いらしく、ですます調の方がいいのではないか、という風にも思えてくる。

だったら試してみたらいいじゃないの、と近所のおばちゃん感のある私の中のなにかが囁いてきたので、ここからはですます調の中野黄加でやってみようと思う。では。

 

では。と言われて放り込まれた白紙の世界に一体どんな事を書けば良いのでしょうか。

初対面の人とは、水中なのかと錯覚するくらいに静かな世界を作り上げる私に突然書けと言われて書けるお話などないのです。

ないない、といえば、最近お金の管理をちゃんとしなければ、と思い”家計簿アプリ”というものを使い始めました。最初のうちは面白がって買い物したらすぐに反映させていたのですが、慢心とは本当に怖いもので、レシートを財布に貯めて週に一回くらい反映させればいい方……になってしまったのです。

すると先日、1000円近くの使途不明金が現れたのです。これがプラスの雑益ならまだしも、雑損となるとこのモヤモヤは相当なものです。160円の使途不明金が現れたときは、コーラかな? と推測できますが、昨日の545円なんて綺麗なようで変な数字だと推測するのも大変です。

これを解決するには、しっかりと毎日アプリに反映させることと、上着のポケットにお釣りを入れないということです。

適当なことばっかりしていると、出かける度に「あれ? 左ポケットに3円入ってる……」となります。家に帰ると確実に忘れます。気づいた時に財布に戻しましょう。

 

……こんなものでしょうか。もうこれ以上は膨らみません。

よくこんな中身のない話をできたものです。それに比べてトッポは最後までチョコたっぷり。

 

ここまで書いていて思った。単純な感想を述べるときはですます調の方が物腰が柔らかくていいのかもしれない。言い切りの文体では上から目線のように見えてしまう可能性がある。

どちらを使っていくのかはこれから試行錯誤して決定するとして、何よりも優先すべきは表現力とトーク力だろう。突発的に出てくる話がお金の管理ができなかった話なのはいかがなものか。もっと抱腹絶倒、愉快痛快、荒唐無稽なお話ができないものか。いや、荒唐無稽はだめだろう。あぁ、一人で自分の文章にツッコミを入れていると悲しくなってくる。

 

もう悲しすぎて続きが書けそうにないのでここでおしまい。

 

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自己嫌悪を謳歌する

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中野を謳歌 第03回 自己嫌悪を謳歌する。

このブログはフィクションであり、筆者の妄想と夢で出来ている。真に受けたことによる一切の責任は負いかねるので悪しからず。

 

 

時々、昔のことを思い出して布団で転げ回って叫びたくなる時がある。

どうして、あの時あんなに気色悪い行動をしてしまったのか。なんだあの言い回しは。脳みそカニ味噌合わせ味噌か。ハイ、コレも数年後恥ずかしくなるやつ。なんならもう恥ずかしい。

 

ともかく、最近は音楽を聴いていると、そういう恥ずかしさを感じてしまう。

 

というのも、現在の好きな音楽は過去に私の周囲の人が好きだったアーティストなのだ。もちろん自分から好きになったアーティストもいないわけではないが、音楽を聴いていると、いつもその音楽を好きだっふた人のことを意識してしまう。

 

突然だが、私はサカナクションが好きだ。ベストアルバム「魚図鑑」が発売され、そういえばアイツが好きだと言っていたな……と手にとってみたらどハマリし、今では一番よく聴くアーティストになってしまった。

 

好きなアーティストが増える、それ自体は素晴らしいことなのだ。

 

私が感じる恥ずかしさは、周囲の人からの影響でアーティストを知ったことではなく、知った当時の自分自身の行動に対する恥ずかしさなのだ。

 

サカナクションに関して言うなら、知り合いから話を聞いた当時にも気になって聴いてみたのだ。しかし好きになることはなかった。その音楽の良さに気づけなかったのだ。新宝島を聴き、その後にサビが最後に来る夜の踊り子を聴いてしまったのが悪かったのかもしれない。アイデンティティとか、アルクアラウンドとかを聴くべきだったのかもしれない。今では夜の踊り子も大好きだが……ってそういう問題ではない。

 

ともかく、当時良さに気づけなかったことがすごく恥ずかしいのだ。あの時は好きではなかったけど、今聴くと良いなと思う曲に出会うと、当時そのアーティストを好きだった人に遅れをとっているような感覚が湧いてくる。それをなんと表現するのかはわからないが、例えるなら、相対的に幼かったことが悔しいのだ。

 

この恥ずかしさはどれだけサカナクションのことを知っても消えることはなく、ふとした瞬間に自己嫌悪にも似た恥ずかしさが体内で踊るのだ。こういった感情はやはり他の音楽を聞いているときにも存在する。

 

数年前、精神がダークサイドに転落し「何もかも捨てて温泉へ逃げてやる!」と熱海へ逃げた際に聴いていたナユタン星からの物体Yは今聴いてもその時の気持ちがよみがえってくる。特に火星のララバイを聴くと今でも胸が締め付けられる。しんみりしたいときに聴くと最高。

 

自己嫌悪も悪い面ばかりではない。これによって気づけたことがある。それは、年齢による見え方の変化だ。

 

今までは年齢なんて、生きてきた期間を表す指標でしかないと思っていたが、重ねた年齢は見える景色、聞こえる音、味覚などあらゆる感覚器官を変化させていっているのではないかと思うのだ。私自身、まだそんなこと偉そうに言えるような年齢ではないけれども。

 

この変化は、正確には年齢の差ではなく、身長や体重、知識や経験などの身体と精神の変化のせいだろう。ただ、否応なく流れてゆく時間の経過を表している年齢という指標が、私の中のまだ薄く脆い部分が地層のように積み重なって、少しだけ見晴らしの良い場所にいることを示しているように感じるのだ。

 

だから私はこの変化を年齢の変化と捉えていたい。私は積み上げた時間の頂上からこの身を投げて生涯を終えるのだ。

 

そう考えると、死というものも違ったように見えてくる。

 

死ぬために生きている、だとか、生まれた瞬間から死へ向かっている、というのはどこかで聞いたことのあるような話だが、生きるというのは変化であり、我々は死の瞬間、今まで積み上げてきた変化の層の一番上に生命の喪失という変化の層が積み重なって死ぬのだ。

 

ただ、その層の上に登って初めて見える景色を知る生者は誰もいない。

万年筆はロマンである。(カクノ後編)

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この企画は、デジタル化が進む現代においての文房具のあり方について考え、社会的な視点で文房具好きが語る……というものではない。

私が使って「これは誰かにオススメしたいぞ!」と思った文房具を独自の視点という名の愛と偏見で皆様を文房具店へと誘うという企画である。

 

万年筆についての当たり障りのない知識と私の腐ったみかんのかろうじて腐っていない部分をかき集め、なんとか始まったこの企画だが、二週目である。 

 

前回は、財布の紐に優しい万年筆カクノを紹介した。紹介したと言っても、本当に紹介しただけである。

 

picnosic.hatenablog.com

 

名前を上げて「良かった」と言うだけなら小学生でも出来る。残念ながら、私は立派な青年である。気取った横文字をつらつらと並べてドヤ顔をするくらいの知識を持ち合わせている。

 

果たして前回の記事で本当にカクノの良さをお伝えできたのか? 

 

そんな疑問符が私の頭の周りでぐるぐると衛星のように回った。それはもう鬱陶しく、万年筆のことを四六時中とまでは行かないが、二、三時間くらいは考えていた。

 

「記事を書き直そうか?」

「ブログ自体を作り直したほうがいいんじゃ?」

「俺の人生、本当にこれでいいのか?」

 

そんなこんなで、今回もカクノについての記事である。前回の記事の中で、カクノをもう一本追加で購入した、とサラッと述べたことを記憶している。この新しく買ったカクノが今回の主役である。

 

この前の記事では述べなかったが、万年筆の大きな要素にインクというものがある。

 

インクはロマンの塊である。

 

万年筆を始めるならインクもしっかりしたいのだ。万年筆でインクを楽しむにはカートリッジでは物足りない。カートリッジとは、詰め替えのインクで人差し指くらいの大きさの物である。

 

 

そこで、同じ会社であるPILOTから発売のインクである、色雫というインクなら24種類のカラーラインナップがある。

 

しかし、これで文字を書くにはコンバーターというパーツを取り付ける必要がある。これは、カートリッジの代わりに万年筆にインクを貯めておくものである。

 

今回記事を書くために買ったのが、このコンバーターと透明軸カクノ、そしてインクだったのだ。色雫は色の名前が個性的でかっこいい。かっこいいのは重要である。

 

ちなみに、三種類を少しずつ買うことも出来るので、いろいろな色を試したい人には超オススメである。万年筆を持っている知人がいる方はプレゼントにするのも良いかもしれない。

 

 

そして少し注意が必要なのがコンバーターである。

 

今回使用するのはPILOT純正のCON−70。本来なら、カクノのコンバーターにはCON−40が推奨されているのだが、この40型はその構造上、小さい球が数個入っており、それが筆記時にカチャカチャ鳴ってしまうのだ。更に70型はインクの充填量も多いため、おすすめである。40型は約400円、70型は約700円と値段が少し違い、インクの吸入方法も違うので注意していただきたい。

 

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左:CON-40、右:CON-70

 

  価格 インク吸引方法

CON-40

400円(税抜) 回転吸入式
CON-70 700円(税抜) プッシュ式

 

上の比較表を参考にしてどちらのコンバーターを使うか選ぶと良い。不安な方は、公式が推奨しているCON−40を使用するのが吉である。

 

そして、今回使うコンバーターCON−70のインクの吸入方法はプッシュ式である。

 

プッシュ式のコンバーターはその名の通り、ペン先をインクボトルに沈め、コンバーターの尻を押すことでインクを吸い上げる。スポイトと同じような仕組みと考えると簡単だ。

 

ちなみに、回転吸入式はしっぽの部分を回すことでピストンが上下し、インクを吸い上げる仕組みである。こちらは注射器と同じような仕組みだと考えると簡単だろう。

 

いざ、初めてのインク吸引。と意気込んで透明軸カクノを取り出す。

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 コンバーターをはめ込み、ペン先をインクボトルへ突っ込む。ティッシュを準備しておくのを忘れたことに気づき、必死に右手を伸ばすが、すでにインクに浸かった万年筆を持つ左手がプルプルと震える。まずい、ボトルが倒れて部屋中が真っ黒になる未来が見えた。なんとかティッシュの箱を指で弾き、手元へ引き寄せる。

 

なんとかインクの吸引を終え、ほっと眺めのため息を吐く。透明な胴軸の奥にはインクの溜まったコンバーター。少し泡立っているのが気になるが、時間が経てば滑らかになるだろう。筆記もしてみたが、普通の黒にしてしまったせいか、特に変わった印象はなかった。

 

数カ月経って、大分慣れてきた。特に、インクを吸引するのは楽しい。シャープペンシルの芯の補充や、ボールペンの替え芯交換とは全く違う、言うならばリボルバーをリロードしているような、そんな感覚なのだ。リロードしたことないけど。

 

普段なら煩わしいと思う筆記用具のリロードも万年筆なら楽しめる。インクを補充している一分足らずの時間は、勉強や執筆で張り詰めた気持ちにゆとりを与えてくれると私は思うのだ。

 

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万年筆はロマンである。(カクノ前編)

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この企画は、デジタル化が進む現代においての文房具のあり方について考え、社会的な視点で文房具好きが語る……というものではなく、私が使って「これは誰かにオススメしたいぞ!」と思った文房具を独自の視点という名の愛と偏見で皆様を文房具店へと誘うという企画である。

 

唐突だが、私は元気だ。

 

元気と言っても外を駆け回る少年のような快活さではなく、好きなアーティストが朝のニュース番組で特集されていたときの発狂に近いものである。

 

その元気の源となったのは毎日一杯の青汁ではない。万年筆だった。

 

万年筆といえば、高そうな金色のペン先と、スーツを着た年配の男性、そんなイメージを持っていた。狭苦しい穴の中で一人、pcいじりやゲームに勤しむ私にとって、万年筆は程遠い存在であると認識していた。

 

そして、万年筆は高い。

 

平気で福沢諭吉先生を人質にするくらいの高価さである。このネタも後数年で使えないということを理解している。次は渋沢栄一氏が新一万円札の肖像に使われるらしいが、キャッシュレス化がゆるやかに進行している現在、肖像画ネタというのがこれからどれだけ面白いのかについての考察は別のセンスのある人に任せる。

 

今は100円のボールペンでも満足度が非常に高く、かくいう私もuniのユニボールシグノには大変お世話になっている。

  

  

さらに、デジタル化の勢いはとてつもない。一昔前なら電卓で計算していた物も、表計算ソフトの活躍によって作業は数段楽になっている。そろばんをカバンから取り出して検算してみるのも一興だが、そんな姿を後輩に見られたときには不遇なレッテルを貼られること請け合いなので注意しておきたい。

 

そんな中、わざわざ苦楽をともにしてきた福沢先生(2019年現在)をそうやすやすと万年筆に明け渡すには少しばかり勇気が足りない。

 

そういった心持ちを変えてくれたのが1000円という、万年筆では格安とも言える部類の商品である”カクノ”だったのだ。

 

私は様々な文房具店に足を運ぶたびに、その安さとペン先に刻印された愛らしくも憎たらしくも思える笑顔にかどわかされ、中字と細字の二本を手元に残す結果となってしまった。

 

大別して万年筆の太さには7種類あり、私が購入した当時のカクノは中字(M)と細字(F)の二種類が存在した。その後、極細(EF)という種類も追加され、透明軸と呼ばれるペンの胴体が透明でインクがよく映えるものも発売された。

 

突然だが、私はスケスケが大好きである。ps2,4のコントローラーは内部構造が丸見えのスケルトンタイプを使っているし、女性を包む濡れたシャツは無条件で親指が反り上がってしまう。

 

そんなスケスケ愛好家の私が、透明軸の発売を黙って見過ごすわけには行かなかった。

 

憎たらしい笑顔

左から極細、中字、細字

 

そんなこんなで私の部屋にはカクノが三本ある。なんなら一本は布教用にしたいまである。

 

しかし、私には万年筆を布教するような友人など皆無なのだ。というか、そもそも知り合いが少ないのだ。ブログで万年筆について語るような奴と友達になろうという物好きはそういない。

 

閑話休題

 

私は初めに細字を買ったが、当時はどうにも書き味のカリカリ感に違和感を感じ、2本目は中字を買った。

 

しかし、中字の方は少しインクの出(インクフローというらしい。なんかかっこ良い)が良すぎて文字が滲んでしまったりすることもあって最近は主に細字の方を使っている。

 

補足すると、安価な万年筆は鉄ペンと呼ばれる物が多く、ペン先が高価なものよりも硬くて長く使わないと使用者の好みの書き味にならないので、購入直後はどうしてもカリカリしてしまう。

 

逆に高価なものはペン先に金が使われていることが多く、金は鉄等に比べて柔らかい金属であるため、カリカリ感は少ないらしい。

 

だがこの金ペンというヤツ、私は使ったことがないのであくまで聞いた話である。

 

当時そんなことを知らなかった私は「万年筆書きにくい!」などと愚痴った。心の中で。しかし、今ではいい書き味になっているので特に不満はない。

 

さらにもう一つ、万年筆の強みがある。

 

それは左利きに優しいということである。

 

右利きの方にはあんまり関係のない話だが、文字は左から右へと向かう筆跡が多く、左利きの書き方だとボールペンの仕組み上、文字がかすれてしまうことが大いにある。

さらに右利きの場合であってもペンを寝かせ気味で文字を書く人は同じ症状が出やすい。

 

しかし万年筆は毛細管現象を利用して筆記するので、文字のかすれが発生しにくいのだ。

 

毛細管現象とは

管が細ければ細いほど、表面張力で持ち上がる水の量が増える現象。

ザックリ言うと表面張力(水面が盛り上がる時の力)に関係したもの。

 

それだけでも左利きにとっては万年筆を買う理由に十分なりえるだろう。さらに、万年筆は筆記するのに筆圧をほとんど必要としないため、筆圧が少なくてお困り方には最高の筆記具となるだろう。

 

さて、万年筆を使う体裁は整った。

 

まだカクノを腰に差していないサムライ殿は今すぐ文房具店に駆け込むか、ネット通販でポチると良い。

 

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今回は、カクノの記事というより、ほぼほぼ万年筆についての基本知識、というよりも私が持っている最低限度の知識の上澄みをろ過したものをお届けさせていただいた。

 

次回は上澄み一番搾りくらいの濃度の情報を提供できればと思っている。

 

そうは言ったが、私の持てる能力を最大限に発揮し、記事を読んでくださる皆々様に満足していただけるような文章を書けるように日々邁進する所存である。

 

ぜひとも、次回の記事も閲覧していただけると嬉しい限りである。

 

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